旅の途中

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Leica M9-P 


LEICA M9-P / SUMMILUX-M 35mm 球面
この情景に対してエッジの緩い球面ズミルックスの開放撮影が果たして適切であったかどうか、今となっては多少後悔もしているところであるが、ともあれ 終のカメラ M9-P を家内にプレゼントしてもらってからちょうど1年が経った。総ショット数は 5008枚。その1枚1枚に濃厚な思い出が宿っている。改めて家内に感謝.....



LEICA M9-P / SUMMILUX-M 50mm F1.4 ASPH
ところで、ライカというのは車に例えるならばフェラーリやポルシェのような存在だと思う。世の中には M9 の高感度性能が悪過ぎると批判する向きもあるが、ぼくに言わせればそれはフェラーリやポルシェにエコカー並みの燃費性能を求めたり、あるいはオフロード車のような悪路走破性を要求するのと同じようなもので、それはちょっと違うんじゃないのかな~?と思ってしまう。燃費は良くなったけれど馬力の落ちたフェラーリだとか河原や砂浜を走り回れるポルシェがいいですか?



LEICA M9-P / SUMMILUX-M 35mm 球面
昨春発売された新型M(Type240)はライブビューや動画撮影が出来るようになり、高感度性能も大幅に向上したようである。それらを実現するために、イメージセンサーは従来から用いられてきた Kodak 製の CCD ではなく、ノイズキャンセル効果が高くて消費電力も少ない CMOS が採用された。新機能が増えて便利になり(?)悪路も安定して走行できるようになったわけだが、それらと引き換えに失ったものがどれほど大きいか、そのことに気づき、憂いているのは決してぼくだけではあるまい。

狂気のレンズ 


LEICA M9-P / SUMMILUX-M 35mm ASPH 11663 / ISO160 / BULB 32秒 / AWB

「1」、「1」、「2」、「1」。
その夜に撮った写真はこの2枚のみ。SILKYPIX Pro 5 で RAWストレート現像。
まったくの無調整、ノートリミング。オリジナル画像はこちら →「1」「2」

それにしても、
こちらが意図する以上に「写ってしまう」、本当に恐ろしいレンズである........

後ろ姿 


LEICA M8.2 / HELIAR classic 75mm F1.8 / 2011年3月
先日、思うところあって愛機の M7 を手放した。最後にその姿をきれいに撮って、後年のために残しておきたいと思ったが、何だか切なくて、申し訳なくて、とても撮ることができなかった。この写真は3年前の今日、今は無き M8.2 で撮ったもの。自分は罪なことをしていると思う.....

兄 妹 


LEICA M9-P / SUMMILUX-M 35mm ASPH

大学を卒業したばかりの娘であるが、ご縁があって今年の8月末には本州に嫁いで行く。しかしその前に彼女には大仕事が控えている。8月上旬に行われる税理士試験を受けなければならないのである。婚約してから新婚生活が始まるまでの最も楽しかるべき時期に、プレッシャーに耐えながら試験勉強に集中しなければならないというのは、ちょっと可哀想な気もするが、娘が自分で決めたことだから、私としては黙って見守るしかない。

ところが過日、息子が学生時代から同棲している女性を伴ってやってきて、「結婚することに決めました」と云う。ほう、と思って話を聞いていると、やにわに鞄から婚姻届を出して私の前に押しやり、「ついては今すぐ婚姻届の証人欄に署名捺印をお願いします」と云う。はぁ~?と思わず声に出るところだった。彼女とはほとんど初対面に近く、どういう女性なのかもっと話をしてみたかったが、「これからすぐまた仕事(大学病院)に戻らなければならないのでゆっくり話をしている時間はありません。出来れば今すぐ署名をお願いします」と云う。此奴めぇ、と思ったが、息子が本当に忙しいのはよくわかっているので、ここはひとつ寛容なポーズをとって、それ以上は何も聞かずにあっさりサインすることにした。挙式の日取りはまったく未定とのことであった。



LEICA M-E / SUMMILUX-M 35mm 球面

それから1週間ほどして息子から連絡があり、8月の頭に式を挙げることにしたのでよろしくお願いしますと。再び「はぁ~?」である。8月の頭といえば娘の税理士試験の直前ではないか。いくら何でもそれでは娘が可愛そうだ。そもそもどうしてよりにもよって兄妹そろって同じ年の同じ月に結婚することになってしまったのか。ああ、思えば自分ら夫婦もお盆明けの8月 17 日に人の迷惑も顧みず式を挙げたのだったねぇ。けだし「因果はめぐる」か。写真立ての中の兄妹は7年前の春に美瑛の丘で撮ったものである。諸々の思い出が甦ってくる。

ワインな休日 


また 昼間っから飲んで~ と家内に小言を言われたので..... / LEICA M9-P / SUMMILUX-M 50mm ASPH



違うよ~ ワインの写真を撮ってるだけだよ~ と嘘をつき..... / NIKON D3s / Micro-NIKKOR 60mm F2.8



夕方になってもまだ撮って(飲んで)いて..... / LEICA M9-P / SUMMILUX-M 50mm ASPH

春の気配 #5 


RICOH GXR MOUNT A12 / UWH 12mm F5.6

春の気配 #4 


LEICA M-E / SUMMARIT-M 75mm F2.5

春の気配 #3 


LEICA M-E / SUMMARIT-M 75mm F2.5

春の気配 #2 


RICOH GXR MOUNT A12 / UWH 12mm F5.6

春の気配 #1 


LEICA M-E / SUMMARIT-M 75mm F2.5

卒 業 


LEICA M9-P / SUMMILUX-M 35mm 球面 / 娘が大学の卒業式で着た着物..... 頑張ったね.....




3月のルフラン 



2001年の大晦日、ぼくは大学を辞めて新しい人生を生きる決心をした。それまで仕事! 仕事! 仕事ひと筋で家庭のことなど一顧だにせず、週に7日、盆も正月も関係なく働き続けてきたから、特にこれといった趣味もなく、そんな自分が大学を辞めてしまったら、自分というのは空っぽで、な~んにもないということにふと気づいた。それで自分も趣味の一つくらい持ちたいと思い、何がいいだろうかと考え始めた。「居合いを習ってみるのはどうだろう?」とか、「歴史マニアになるのも楽しいかな?」なんてあれこれ考えながら、本屋に行って趣味の書棚を眺めたりしていた或る日のこと。ふとこの雑誌が目に留まり、手に取ってみて愕然としたのである。あまりにも緻密でリアルなその画像に目が釘付けになった。「写真って、こんなに凄いものなんだな.....」 この瞬間に決まったのである。よし、俺は写真をやろう!

そうと決まればカメラを買わなくてはならない。目標はこの富士山のような写真を撮ることだから、やはり一眼レフとかいう大きなカメラが必要なんだろうな。でも一眼レフってどうやって撮るのかな? まずはそこから勉強しなければならない。何冊か本を買ってきて猛勉強を始めた。同時にネット上の写真フォーラムを覗いたりして情報を集めていると、何やら近いうちにキヤノンから素晴らしく高性能なデジタル一眼レフが発売されるらしい。しかも価格は前機種の半値に近いという驚くべき情報をキャッチしたのである。おお、何というグッド・タイミングだ! ぼくは迷わずそのカメラを買うことに決めた。

2002年3月、発売初日にヨドバシカメラで Canon EOS D60 を購入。前置きが非常に長くなってしまいましたが、ここで自分が言いたいのはつまりこういうことです。「3月」に自分の写真人生が始まったんですよと。やがてフィルム写真にも挑戦してみたくなって、2004年3月に EOS 1V を購入。2008年3月には R-D1s でレンジファインダーカメラの世界を知り、2013年3月には自分にとって終のカメラとなる M9-P を手にすることとなりました。決して意図してそうしているわけではないのですが、どうも3月というのは自分の写真人生に転機が生じる月のようです。先日来ずっとそんなことを考えていましたが、まあそんなことは皆さんにとってはどうでもいいことでありましょうね。実はまだ続きがあるのですが、この辺でやめておきます。長々と失礼いたしました。

2年遅れ #3 


NIKON D3s / Nikkor 16-35mm F4 VR / ISO 12800 / 2012年2月

2008年、リーマンショックが日本を襲った際、一部上場企業の先頭をきってキヤノンが大規模な派遣切りをやった。突然の解雇通告に加え、歳の瀬にもかかわらず問答無用で社員寮から追い出すという血も涙もないやり方だった。当時の経団連会長は御手洗冨士夫。言わずと知れたキヤノンの大社長である。それまでぼくは一眼レフもコンパクトカメラもキヤノンをメインに使ってきたが、このことがあって以来、こんな冷血企業の製品を使い続けることに嫌悪感を抱くようになり、いずれ折りを見てシステム一式をニコンに乗り換えようと心に誓ったのである。

ニコンD3s が発売されたのは 2009年11月。その頃はまだ M8 のローンがたくさん残っていてとても手が出なかったが、2012年2月になってようやく「2年越しの恋」が叶い、意中の D3s を手にすることができた。ちなみにその同じ月に新型 D4 の販売が開始され、D3s のディスコンが確定的となったが、ぼくは D3s が D4 に勝ると思われる、ある特別な価値を見出していたため、何の迷いもなくD3s を選ぶことができた。その「特別な価値」については後日語ってみたい。

2年遅れ #2 


LEICA M8.2 / ULTRON 28mm / 函館本線 / 2008年12月

病気をする直前までぼくは一眼レフを片手に北海道の野山を駆けずり回っていたから、ライカなんて金持ちのジジイ共が道楽で蒐集するだけの実にしょうもないカメラだと思っていた。その自分が R-D1s との出会いによって 180度指向性が変わってしまい、ライカが気になって気になって仕方がなくなった。自分の癌の進行度では5年以内に再発死する確率がおよそ 60%であるとわかっていたから、どうせ死ぬなら一度はライカで撮って死にたい!という必死の思いで M8 を購入した経緯は #0087 の記事ですでに触れたところである。ライカ社から M8 が発売されたのは 2006年の12月で、ぼくが入手したのは 2008年の12月。奇しくも 発売後ちょうど2年 のタイミングとなった。

2年遅れ #1 


EPSON R-D1s / Nokton classic 40mm / アルテピアッツァ美唄 / 2008年3月

ぼくが R-D1s を使い始めたのは 2008年3月のことだ。その年の2月に大きな手術を受けて、もう一眼レフを振り回すのは無理だろうと思い、病院を退院したその足で真っすぐヨドバシカメラに行って買ってきたのである。近いうちに癌が再発して死ぬかもしれないのに、カメラのことしか考えていない正真正銘の写真馬鹿であった。R-D1s が発売されたのは2006年3月だから、発売後ちょうど2年 経ったところで入手したわけである。このカメラのお陰ですっかりレンジファインダーの楽しさに目覚めてしまったぼくは、その後「ライカ沼」という底なし沼に嵌り込んでしまうこととなった。R-D1s は M8.2 の 購入時に処分してしまったが、このカメラが残してくれた写真を見直す度に、その温かみのある濃厚な画質にいつもハッとさせられるのである。R-D1s のイメージセンサーは今や絶滅寸前の「CCD」であった。

海岸にて 


CANON EOS 5D / EF16-35mm F2.8L / 糠平海岸

寒 蛸 


Contax RXⅡ / Planar 50mm F1.4 / E100VS / 小平町

風の岬 


Contax RXⅡ / Vario-Sonnar 80-200mm F4 / RVP100 / えりも

防砂柵 


Contax RXⅡ / Vario-Sonnar 80-200mm F4 / RVP100 / えりも

SIGMA 50-500mm 


NIKON D3s / SIGMA 50-500mm F4.5-6.3 OS

久々の機材ネタです。今回の流氷シリーズでは SIGMA 50-500mm F4.5-6.3 OS を多用しましたが、はっきり言いましてこのレンズの望遠端は使い物になりません。像がボケボケでプラスチックレンズ並みの解像感しか得られないのです。400mm までであれば、まあ何とか許容範囲の画像が得られるのですが、それより先がいけません。このレンズを使われる方のほとんどは 500mm の超望遠を期待してのことだと思いますので、その肝心の 500mm 域が使い物にならないのでは困ってしまうわけです。本当はこのような悪口はあまり言いたくないのですが、「なかまちが使っているレンズならきっといいものに違いない」というような嬉しい誤解をしてくださる方がもしもいらっしゃって、期待に満ちてこのレンズを買われるようなことがあっては申し訳ないとの思いから、敢えてこの記事を書くことにしました。以前にもコシナのレンズなどで同様のことがありましたので....

ところで、この写真は 500mm で興部(オコッペ)の街を捉えたものですが、画面の右1/3は海になります。ですからそこに建物があるはずはありませんが、何やらモヤモヤした家並みやアーチ状の構造物らしきものが連なっているように見えます。これらが果たして蜃気楼なのかどうか、映像があまりにも不明瞭で判断がつきかねます。オリジナルのJPEG画像を こちら に置いておきますので、興味のある方はダウンロードしてご覧ください。このレンズの解像感の悪さが妙な具合に奏功して曖昧模糊としたミステリアスな1枚となったようであります。ひょっとすると興部の街を含めてこの写真に写っている遠景のすべてが蜃気楼だったりするかも知れません....